現代医学の盲点
自然治癒の症例

◆ガン・難病
体験談―両側卵巣ガン
平成14年10月13日のセミナーにて
2回目の抗癌剤により髪が抜け、
余命6ヶ月と診断された。
子供に残すため笑顔で撮った写真。

私はビズダニ紀代子といいます。37歳です。私は今生きていることの喜びを皆様にお伝えしたく今日ここへ出かけてまいりました。

というのは98年の5月にアメリカで両側の卵巣ガンを患いまして、ネバダ州にあるラスベガスの病院で手術を受けましたところ、両側の卵巣と子宮を全部とられました。その他、内臓や骨盤にもしっかり転移していたため余命6ヶ月と診断されました。それで日本人の体は日本人の先生の方がわかってくれると思い故郷の知多市に戻り知多の市民病院に行って診てもらいましたところやはり同じ診断でした。頼りにしていた日本の病院もだめということで、次に東洋医学の専門の病院でも診てもらいましたが治りきらず段々わるくなる一方でした。

今日は私のこれまでの健康面に対する失敗談と大沼先生に出会うまでの長い道のりと、大沼先生の指導を受けた後の体調の変化についてお話させていただきます。

そもそも私は生まれも育ちも日本で、愛知県の知多というところです。食事は野菜中心で育てられ、体が丈夫なだけがとりえでした。20歳のころからアメリカへ行ったり来たりしまして、13年前から完全に生活の場をアメリカで過ごすようになりました。

最初はユタ州といいましてアメリカの三角地帯に住んでおりましたので魚介類は全く手に入らず、野菜も高価だったものですから、好むと好まざるとにかかわらず、朝昼晩365日肉ばっかりの生活でした。ごはん代わりにパン、水代わりにコカコーラ、お茶代わりにブラックコーヒー、おやつは着色料、保存料、添加物のたっぷり入ったジャンクスナック、冷凍食品、インスタント、缶詰は当たりまえでしたので、渡米して1年で10kg増えました。ところが今日ここに来る前に体重計に乗ってみましたところ、ちょうど10kg減っていて13年前の渡米する前の体重に戻っておりました。すごいなぁと思い感激してきました。


《末期卵巣癌発症》
1998年 家族との写真

私は気力、体力、時の運だけは自信があったものですからアメリカで食生活が変化したにも関わらず体の変化には何の疑問も持たずにおりました。その後5年後ぐらいに新しい職場に変わり対人関係で過度なストレスに虐げられるような生活を送ることになりました。それに当時はまだ食生活や精神的な過度のストレスが体と密接な関係にあることなど思いもよりませんでした。

30歳を過ぎてアメリカ人の主人と出会い結婚、引越し、妊娠、出産。特に育児の時は子供が3時間おきに起きるものですから睡眠障害で昼間起きていてもふらふらの状態でした。そんな生活もやっと落ち着いてホッとしたところに突然病が襲ってくることになりました。それまで毎年子宮ガン検診をしてきたにもかかわらず発病してしまいました。98年の5月ですから3年前の話です。

最初はドクターも判らず卵巣脳腫という診断でしたけれど、お腹を開いてみたものの当時ですでに末期の卵巣癌ということだったのです。

ドクターは「目に見える範囲のガンは全て取り除いたので大丈夫だろう、もしそれで不安があったら抗癌剤を受けてもいいよ。ただ一月に一回の抗癌剤で130万円ずつかかりますよ。お金のことがおしいならそのままでもいいよ」と言われました。たまたまその時に保険が切れていたものですから家一軒分を払って手術を受けました。幼子を抱え、抗癌剤を受けふらふらになりながらの生活をとても続ける勇気はありませんでした。また当時永住権を取れなかったということでアメリカから国外に出ることもできず、向うでの生活を続けておりました。

《2年後に再発》 

手術の後は体調もよく順調に回復に向かっていると思い、またもとの生活に戻り育児やなんやかんやでストレスもたまり睡眠障害にも陥るという生活を続けておりましたら、手術から2年後に再発しました。それでドクターのところへ行って調べていただいた結果、あまりにも広範囲に広がっていて左側の腎臓は死んでしまった状態で機能していないといわれました。癌が広がりすぎていたため手術はできないということでした。担当医は諦めてしまったのですが、家族は諦めきれず、最後の切り札として日本人の体は日本人のドクターだったらなんとかしてくれると思い日本にやってまいりました。

私は西洋医学こそが救いの道、西洋医学こそが医療の最高峰と信じて疑わなかったものですから、迷わず知多の市民病院に行きました。そこで、色々な検査をした結果やはり同じでした。

骨盤などあまりに広範囲に広がり過ぎて「手術はできない」といわれました。さらに「今後少しでも悪化するようであれば、排尿は背中から管を通し、排便は人工肛門で排泄するようになり、完治は不可能でありえず、生きてアメリカに帰ることもできません。ご主人とこの世でお会いすることもありえないでしょう」と言われました。「ただ延命のためだけに抗癌剤を3回打った後にお腹を切って開いてみて、次は命ある限り抗癌剤をうち続けます。それも死ぬまででそれ以外に方法はありません」と言われました。

《副作用で瀕死の状態》

私もその時は抗癌剤だけが全てだと思い込んでいたものですからなんの疑いもなく言われるままに受けることになりました。最初の予定では一ヶ月に一回ずつ受けることになっていました。

皆さんの中でも経験のおありになる方は分かると思いますが、抗癌剤を受けると同時にすさまじい吐き気とめまいがありました。また、手先指先は“マラソン選手の足がマヒ”じゃないですが、私はピアノを教える仕事をしていましたので、ピアノを弾こうにもしどろもどろで針を刺しても感覚がありませんでした。それ以上にひどかったのは全身が蕁麻疹(じんましん)だらけで、退院した後も夜中に救急外来に何度も運ばれるほどのひどさでした。全身血だらけでシャツが血みどろになり、感染の予防のため外から遊んで帰ってきた子供を抱くこともできないという状態が続きました。

抗癌剤は月に一度なのですが、吐き気がでるから吐き気止め、食事が取れないから元気が出る薬を打たれ、全身蕁麻疹なものですからかゆみ止めを打ち、白血球の数が少ないということで骨から白血球をだしましょうということで4種類もの注射が毎日続くことになりました。それで一回、二回と続くうちに心も体もほとほと正直言って疲れまして、西洋医学は限界と思い知人の紹介で三重県にあります東洋医学の病院に通うことになりました。

《望みをかけて東洋医学へ》

そこでは血液をきれいにしょうということで食事の改善とツムラの漢方を朝昼晩と何種類も狂ったように飲み続けました。最初は抗癌剤を止めたために体調は良くなって回復に向かっているかと思っていたのですが、私の知らないうちに癌はどんどん進行していました。そのうち血便が出、どんどん悪くなっていきました。

そこのドクターは私ほどの重症患者を診たことがなく、私の結果がドクター達の症例になっていくものですから慌てて次々と違う薬を処方していきました。そうこうしているうちにどんどん体が起き上がれないような疲れに悩まされ、このままではいけないと思い、接骨院にいってマッサージをしてもらったり、気孔にいってパワーを入れてもらったりとかいろんなことをやってまいりました。ところがどんな手をつくしてもダメでした。

《最後の賭け》

それで電話帳を角から角まで調べて自然医学総合研究所をみつけました。ここがダメだったら死ぬのを覚悟で主人の顔を見にアメリカに帰ろうと思っていました。

ようやく長いながい道のりの結果大沼先生に出会うことになりました。私はそれまで医療や病気に対する疑問は沢山ありましたが良い患者でいようと思い、嫌われないようにと質問もせず言われるままにしてきました。アメリカではドクターでもチップを払うと何でもしてくれますがチップを払わないと何もしてくれないものですから、とにかくいい患者でいることにしていました。

しかし、ここが最後と思い決心していたものですから今まで持っていた疑問を全部質問してみましたところ、ストレスと病気の関係や骨盤の歪み、消化吸収や白血球と発癌の関係などの他、卵巣や子宮の循環障害と発癌の関係など西洋医学でも解かっていないことがあることなどなど大沼先生は子供でも分かるようにひとつひとつ丁寧に分かりやすく教えていただきまして本当にスッキリしました。

《初めての血液画像検査》

私は母に連れ添ってもらい血液の画像検査を初めて受けて自分の血液の汚いことにびっくりしました。あまりにもひどかったものですからてっきり助手の方がまだピントを合わせていないのだと思い込んでいましたが、ピントは正確に合っているということでした。

そのひどさは先生のところにある悪い見本よりもズーっと汚れていたのです。一年もかけて三重県まで通い漢方薬を浴びるほど飲んでいただけに“いったい今まで何をしていたのだろう”と愕然としてしまいました。西洋医学でも東洋医学でも治らなかった理由が分かったようで希望が見えてきました。

《余命6ヶ月と診断された》

ビズダニ紀代子さんは98年5月アメリカで両側末期卵巣癌を患い、すぐに手術され子宮も全部摘出された後、2年後に骨盤などに複数の癌が再発し手術もできず余命6ヶ月と診断された方です。

アメリカでの治療に限界を感じ、日本に帰国し愛知県半田市の市民病院で2回抗癌剤治療を受けましたが悪化する一方でした。西洋医学の先生にサジを投げられ、思いあまって三重県の東洋医学病院に1年間通われました。血液をきれいにするために行ったのですが、結果はよくなるどころか進行を抑えきれませんでした。それで接骨院から気功法など思いつく様々な民間療法を試みてきましたが改善するまでには至らず、最後の望みをかけて自然医学総合研究所に来られ2ヶ月でしっかり克服されました。前号に続き今号では後半の体験談をお伝えいたします。

《血液が健康のカギ》

私はアメリカで両側卵巣癌を摘出後、再発し去年の5月に半田市民病院で余命6ヶ月との宣告を受けました。担当医からは癌が骨盤や内臓全体にあまりにも広がりすぎているために手術もできないと診断され、生きてアメリカに帰ることはできませんといわれました。

その後、知人の紹介で三重県にある東洋医学の病院に血液をきれいにするために1年間通いましたが期待したようにはいかず癌は進行するばかりでした。それで最後の賭けだと思って名古屋にある自然医学総合研究所の大沼先生の元で健康指導を受けることにしました。大沼先生の指導を受けてからはどんどん楽になり、日々体の変化の連続でした。

大沼先生のところでは西洋医学の検査では分からない血液の状態を調べていただきました。1年間も漢方薬を飲み続けてきたにもかかわらずきれいな血液どころか、めちゃくちゃに汚れていまして強烈なショックをうけました。

《金属メッキの状態》

一番驚いたことは「血液をきれいにするためには化学薬剤では不可能ということでした。」「血液は水と同じで自然界に存在している植物のつくる酵素と土や岩にふくまれているミネラルの相互作用できれいになるので、血液をきれいにするためには、これまで病状を抑えるためだけに飲んでいた薬を徐々に少なくしてみてください」ということでした。

それも「病状とは、体を元に戻そうとして出ている生体反応であることが多く、むやみに抑えると生体反応がとまることになり最終的に自律神経が狂うことになります。」また「化学薬剤をとり続けることは人間の消化器では完全に消化できない物質でつくられたものを体に入れることになるので何年も残って体の中が金属でメッキしたような状態になる」と言われハッとしました。

さらに「そのために血流が悪くなり、さまざまな臓器の機能が低下し深刻な副作用が新しい病状となって発現することになるのですから、続けると必ず病状が複合化し病気がいかにも増えたり悪化したり進行したように診断され、新しい薬が次々と上乗せされ薬の数がどんどん増えて、いつの間にか薬漬けになり免疫力が下がり悪循環になりがちです」という事を沢山の専門家も言っていると知らされまして本当に驚きました。

《遺伝子は変わる》

また、「人間は生き物ですから遺伝子に書かれていない物質を不自然な状態で体に入れる事や遺伝子に書かれていないことを続けていると遺伝子が早く傷つき壊れてしまう」ということを生命の暗号というベストセラーの本を書いて有名になられた筑波大学名誉教授の村上和雄先生もおっしゃっているというお話を聞かされ薬に頼ってきた自分がこれまで大変な間違いを選択してきたことを知りました。

《薬漬けの習慣》

しかし、一度習慣になった薬を止めるということは勇気のいることでした。冷静になって考えに考えてみましたところ、一年間も使ってこんなに血液が汚れているのは自分に合っていなかったことの現れだと思い、それまで毎日朝、昼、晩ときちんと飲み続けてきた薬を全部止めてみることにしました。

私は薬が大好きで、昔から沢山飲んできたものですから薬を止めることが本当に心配でした。ですが、本来ならば去年の12月12日にとっくに死んでいてもおかしくはなかったものですからここまで来たならと思い、これまで信じていた薬を全部思い切ってやめて様子をみることにしました。

《遺書》

忘れもしません平成13年の6月12日にまだ意識がはっきりしているうちにと思い「遺書」を書いて残しておこうと思いまして書いておきました。本来ならば命日は2001年の12月12日ということで覚悟していましたから、この際と思い徹底して大沼先生の指導を守ってみることに決めました。その遺書はいまでも記念にとってあります。

《改善反応》

大沼先生のところで最初に試したことは、梅干のエキスなど数種類の健康食品でした。それを飲み始めましたところ、すぐに背中や腰の周りに少し湿疹のようなものができてきました。それを見てうちの家族は「やっぱりまがい物を飲んだのではないの」といって不安がっていました。

しかし、私はむしろ今まで色々な薬を何種類も飲んできた割には何の反応も無いままにどんどん癌が悪くなる一方だったものですからそれよりはまだましと思い湿疹だろうがなんだろうが続けてみることにしました。一見すると悪く見られてしまう症状ですが、大沼先生が指導したとおりに今私の体の中で白血球が働きだして癌を攻撃して解毒しているのだと思いむしろ期待して続けることができました。

白血球の比較
8月20日初検時 9月17日(約一ヶ月後)

《ゴムバンド療法の絶大な効果》

大沼先生の指導を受けてもう一つ驚いたことは、皆さんが巻いているゴムバンド療法の効果の大きさです。私はそれまでゴムバンド療法は腰痛とかヘルニアなど腰の悪い患者さんだけが使うものだと思っていたのですが、家に帰って実際に足首から巻いて膝、腿、腰、肩に巻いてみましたら翌日レバーの固まりのような大量のタール便が出ました。それで家族も私も病院では血便が出たら人口肛門にすると聞かされておりましたから慌てましたが、出し終わると逆に気分がとてもすっきりした感じでサッパリして落ち着きました。その後直ぐに大沼先生に確認しまして解毒反応だと知りまして安心しました。

《出た分だけ楽になる》

 その後、大沼先生は温泉水もよいと言うことでしたので試飲してみましたらやはり血液がきれいになったものですから早速取り寄せて続けてみました。それに計算してみましたらペットボトルでスーパーの水を買うよりも安いものですからまとめて18ℓ買って飲み始めました。そうしたところ今度は次の日には腰の周りから背中全体にかけてアトピーのような湿疹が出始めました

まだ続いているのですが今まで何の変化も無かっただけに嬉しくて本当に喜んでおります。普通、血液がよくなるとどんどん余分なものが体の外へ運びだされるということを知らされていない人から見れば、一見すると病気が益々悪化しているようにしか思えない反応ですが、大沼先生の指導のとおりに出た分だけ体が楽になるのがはっきり分かるようになりました。

《病院での悪夢》

私が入院していた半田の市民病院では6人部屋でしたから、抗癌剤1回目の人がいて、私は2回目、こちらは3回目を終わった人、そして4回目に行く前にですが、3回目を終わると治す、治さないということとは関係なくお腹を開いてまた閉じるのです。

さんざん抗癌剤で叩いて叩いて叩いた後に開腹してお腹を調べるものですから急激に体力がなくなってまいります。そしてこちらは4回目と、ですから4回目を過ぎると急にお茶碗も持てなくなり自力で立つことすらできなくなります。ガクンと体力がなくなった状態です。更に5回目、6回目になると鼻から管を通して流動食に、という風にだんだん弱ってゆくのが分かってしまうものですから次は私の番なのだなとか、もうじき私も死ぬんだなとしか考えられませんでしたし、当時同じ部屋にいた患者さんで私以外は全員亡くなっているものですから、当然私もそのうちに死ぬんだと思い込んでおりました。

《仕事に復帰》

ところが大沼先生にお会いできて、肉体の生理反応を学んでからは全くそんなことは考えられなくなりました。実際にこの2ヶ月間の経験で得たことはとても大きいです。

末期癌が原因でやせて死んでいくと言う不安は全くなくなりましたし、むしろ体重も完全に元に戻り病気になる前のように健康的になり、お陰様でピアノもまた教えられるようになるまでに回復できました。しかし、この様なことを何も知らされていなくて、今まで通りに何の疑いも無く市民病院の先生に付いていたならば当初の予定通り医師の診断どおりにとっくに霊界に旅立っていたのだろうと思います。

だからと言ってお医者さんを恨む気持ちは全くありませんし、先生方も一番いい治療をしているのだと思い込んでいるのですから一人一人の医者の責任ではないように思います。

ただ残念に思いますのは医学部の教授の先生方は癌という病気がどんなものなのか何も判っていないということです。大沼先生のような確かな理論を少しでも早く研究をして身につけていただき、一日も早く確実な成果をだしていただけるようになってもらいたいと思います。

NRT免疫活性療法とは、NATURAL RECOVERY THERAPYの略語で、生きた血液を画像でチェックし、従来の血液検査では得られなかった質や形状、働きを観察し、血液の状態を良くする事で、免疫力を強化し、かつ全骨格矯正によって身体全ての細胞を活性化させ、病気を克服する療法です。したがって、あらゆる病気の根治療法として期待できるものです。

一般社団法人 ナチュラルメディスン
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ナチュラルメディスンでは手術なし、薬なしで治る研究をしています。
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