ガン難病の自然治癒 5-12 慢性関節リウマチを克服 |
今日は、私の長年の持病でありました慢性関節リウマチが大沼先生の所に通いだしてから改善されましたので、その体験談をお話させていただこうと思いまして参りました。 私は生まれた時から虚弱で沢山の病歴があります。またお医者さんも親戚にいるので、医者には行くのですが、母親の影響で薬をまじめには飲んできませんでした。私は母の勧めもあり 30年来玄米食で通してきましたが、一方では勤務上休めないときなどには薬も飲んできましたし、医者にも長年通ってきました。 志 変なことを言うようですが、病気をしながらでも自分の運命は自分で切り開くのだという信念を持って生きてきました。教員は私の天職、子供たちのことを一生懸命考え実践することが、すなわち自らの命を切り開くことにつながると。それで母の大反対を押し切って教員になりました。教員になってみてわかりましたのは、どんなに辛くても休めない職業だということでしたので、どんな病気になりましても初期の手当てはお医者さんにしていただき、それで仕事を続けるという状態でした。例えばお腹をこわした時には 3日でも4日でも平気で絶食しながら仕事を続けるといった具合に。 病歴 病歴は肋膜炎を患い、心臓弁膜症もやり、 12年ほど前には虫垂炎からひどい腹膜炎になりN病院に入院していて1ヶ月も食事が与えられずに抗生物質と栄養剤を点滴されたということがありましたが、60歳の定年まで仕事をやり通しました。私にとっては、散々病気をしながらでもなんとか定年まで勤め上げることができたことは自分にとって最高の勲章でした。それで、これからの人生は自分の好きなことをやろうと思いボランティアや趣味など始めたのですが、その矢先の2002年12月の初めに両手首の猛烈な痛みに襲われました。 リウマチ発症 思い返してみますと、今から 15〜6年前に指の第一関節がものすごく痛んだことがあり、医者へ行って診察を受けました。その時に「あなたのはシェーグレーン症候群だからリウマチにはならないよ」と言われ、その言葉に安心し、それでは薬に頼らず自分でなんとか治そうと出された薬を全く飲まずにきました。そういうこともありましたが、やはり何よりさんざん無理をしてきましたのでこの病気になったのだと思います。かけがえのない子供たちの寝顔をみては必死で仕事をしてきました。病気になるといつも夫にずいぶん怒られていました。というのも帰宅すると立ってもいられない、食事を作ることもできずに倒れてしまう状態でしたので、「自分の体なのに倒れるまでわからないのか」と、しょっちゅう叱られました。独身の時には母親から「辞めなさい」と言われ、結婚してからは主人に「辞めろ!」と何度も言われましたが、でも辞めたくはありませんでしたので、あまり痛い顔もせず、辛い顔もしないで気力で勤め上げてきたというのが私の60年近くの人生でした。その結果2002年の12月の初めにリウマチの発症となりました。受診した病院が15〜16年前の時と同じ整形外科でしたが、血液検査をしてもらったところ「困りましたね、今度は本当のリウマチです。」と言われ、とてもショックを受けました。家に帰ってもなにも手につかず、その夜は眠れないほどでした。 薬漬け とても落ち込み、なんとかこの痛みだけは取りたい一心でお医者さんから出された薬は全部飲むことにしました。飲むと結構楽になり、痛みも和らぐものですから嬉しくなり、それ以来薬に頼るようになりました。ところが2週間、 20日間と飲んでいくうちに、しばらくは効いているのですが1ヶ月も飲むとまた前と同じような痛みが出てきました。病院の先生に言いますと「じゃあ薬を替えてみましょう」と、薬を替えていただき、その間も1ヶ月に1度ずつ血液検査をしていただいたのですが、リウマチに関係する数値は一向に良くなりませんでした。薬を替えていただくと一時良くなって、また悪くなるという状態でした。私は不安になり、「どうしてまた悪くなるのですか」とお聞きしましても、答えてもらえませんでした。それで、このお医者さんはダメだと思い、医者をかえました。すると、「僕に任せなさい、これ以上悪くならないように管理してあげましょう」と言われました。私は「管理ではなく、治らないのですか。」と聞きましたら「リウマチは今のところ治らない病気です。」と答えられ、がっかりしました。しかし、この先生にお任せするしかないのかなと思い、薬に頼り、検査をするという同じ繰り返しをしてきました。その間にも、特に夜は針千本で突き刺されるようなすさまじい痛みがでるようになり眠れませんでした。こんなことではいけないと思い図書館へ行って安保先生の本ですとか、大沼先生の本ですとか読みまして、薬は危険だということがだんだん解ってきました。それと痛みにはびわの温灸がいいと知って自分で試みましたら、お灸の後が余計に痛くなりましたが、30〜40分すると薄らいでいきました。でも夜中の痛みが治まらず、足踏み療法ですとか温泉療法や岩盤浴も行きましたし、鍼灸や指圧マッサージなど、様々な良いといわれるところへ行きましたが良くなりませんでした。 大沼先生との出会い それで、何とかしようと大沼先生の門戸を叩いたのが 2003年の9月10日でした。血液の画像を見せていただき、「これが尿酸結晶ですよ。」と言われたものを見ましたら、とげの様な形をしていました。以前尿酸結晶が関節に溜まってリウマチの痛みが出るという本も読んでいたものですから、この痛みの原因はこれかと思い、本当にすごいインパクトのある初日で衝撃が走りました。それで大沼先生に診てもらおうと決めました。
週に 2回から3回の割合で通い、痛みの原因が分かったものですから16日から思い切って全部止めてみました。止めて週2〜3回先生の手当てを受けました。9月20日頃、朝起きましたら目やにで目が開きませんでした。結膜炎かもしれないと思い、母から聞いたホウ酸で洗い流してみました。ひどくなったら目医者に行こうと思っていましたが、次の日には治まりました。ところが、今度は鼻水が止まらなくなりました。私はひのきのアレルギーがあり、毎年発症するのですが、この時期に花粉症が出たのかと思うくらい鼻水がぐしょぐしょに出ました。それも2〜3日で止まりました。
熟睡 大沼先生の本には解毒反応のことで、タール便が出た後に改善したという例がありましたので、先生にお尋ねしましたところ「改善反応ですね」と言われ、とても喜びました。痛みはまだ残っていましたけれど最初のような衝撃的な痛みは無くなりました。しかし、夜中のトイレ通いはまだ続いていました。それでも毎日玉葱の薄皮を剥ぐように変わっていくものですから、寒い冬場も楽しみに通わせていただきなんとか通り過ぎてきました。今年の 2月、3月に入ったころから夜も眠れるようになり、これは本当に完治できるのではないかという希望が持てるようになりました。まだ時々眠れない時もあるのですが、昼間の痛みは完全に取れました。 趣味 大沼先生からいつも注意されているのですが、私は和太鼓やオカリナ、篠笛を吹くなどしてきましたので、調子がいいと直ぐにやりたいことをやるものですから、やはり無理をすると痛みがでますが、太鼓を自由に叩けるのも目前のような気がしています。 患者学 私はこの病気になってから毎日日記を付けてきまして、どんな時に痛むのかを記録してきました。それでわかったことは前線通過のときや西風のときに痛むことがわかりました。どうして痛むのか知りたくて色々本を調べましたら気圧との関係であることがわかりました。大沼先生にお伺いしましたら、気圧が下がると循環が弱くなり、酸欠のため痛むということで納得しました。 この病気を経験してつくづく思いますのは、患者はお医者さんに頼っているばかりではなく、こうして自分でも調べるようにした方がどんな時に悪くなるのかが良く分かり、余計な心配をしなくて済むようになると思いました。痛みで夜中に起きることはないのですが、まだ多少痛みがありますが、朝起きて 2〜3回手を動かすだけでほとんど一日中痛まなくなりました。 「遺伝子障害ですから治りません」と言ったお医者さんに治った姿を見てもらいたいと思っております。大沼先生からは「病院へは元気になったら行ってください」と言われましたが、本当にそうだと実感いたしました。後は時間の問題で、全て解決すると思っております。患者がどんなお医者さんにめぐり合うかは重要な問題です。現状ではかなり努力しても無理です。私は大沼先生にめぐり会え、本当に幸せ者です。今は治らないと診断された病院の先生に元気な姿を見てもらいたいと思っておりますし、そういう症例に自分が早くなりたいと思っております。大沼先生には本当に感謝しております。
平成 16年4月18日 体験発表会にて 須賀登喜代 |
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